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高句麗の歴史の事実 [話題のキーワードから]

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高句麗は668年(紀元前37年)から始り、
朝鮮北部から東三省北中部辺りの国家です。

紀元前1世紀頃に漢の支配下の領地でしたが、
費用がかさむので切り捨てられ、
当時の高句麗周辺の濊貊系民族が支配していました。

濊貊系民族は山岳地帯での農業を主にした民族で、
補助的に狩猟と牧畜も行なっていました。

高句麗の語源は、
漢帝国が玄菟郡(げんとぐん)に
高句驪県を設置した事に始まります。
高句麗の「句麗」は「城」を意。

史料には高句麗王に先立って
高句麗侯を名乗る人物が存在しますが、
玄菟郡の縮小移転に際し、
現地の土豪を県侯が任命されたから
だと考えられています。

中原高句麗碑等の
当時を知る手がかりになる碑文によれば、
5世紀中頃には「高麗」と自称していたと推測される。

そして中国の王朝が
この自称を公認したのは520年です。

この事実は、歴代正史の冊封記事から明らかにされています。

以後は「高麗」が正式名称として認められていました。

中国・日本の史書には高麗と表記される事が有るのはその所為ですね。

現在の私達は正しく「高麗」と呼ばず
「高句麗」の旧称を用いてしまう理由は、
「三国史記」での間違った使い方が
そのまま定着化してしまったのが理由です。




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タグ:高句麗 歴史
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